風野ゆうの素朴な疑問と一本勝負

全身全霊をかけて気ままに全力投稿

炎のストッパー 津田恒実さんの命日

今年も7月20日がやってきました。

広島東洋カープにとってはその日は特別な日です。

26年前の7月20日、奇しくもオールスターゲーム開催の日に

彼は32歳の生涯を静かに閉じました。その人の名は

炎のストッパーと呼ばれた男 津田恒実

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彼は1982年に先発投手として11勝6敗の成績を残し、球団初の新人王を獲ります。

しかし2年目からは、ルーズショルダー や指の血行障害などに悩まされ、登板数が

徐々に減っていきます。そしてその血行障害を治すため、世界初となる中指の靭帯を

摘出する手術を受け1986年に抑え投手として復活しカムバック賞を獲ります。

リリーフに転向してからは、ストレート主体のピッチングでした。

リリーフと言えば横浜の佐々木主浩選手やソフトバンクの千賀滉大選手に代表されるフォークで仕留めるイメージがありますが

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彼はとにかく直球にこだわりました。特に1986年は投げた球種の90%以上がストレートであり、変化球はほとんど投げていません。

 

ここまでストレートにこだわるのは甲子園での苦い経験があったからです。

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持ち前の直球勝負を避けカープを投げてしまい、一球で敗戦。

その時の弱気と後悔の念が彼の後の野球スタイルを支配する事となりました。

それが彼の座右の銘である

直球勝負 弱気は最大の敵 

という言葉に集約されています。

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 ピンチになればなるほど球速が上がっていく傾向がありました。阪神の当時絶頂期の

ランディー・バース選手に全て150km/hを超えるストレートで、3球三振に仕留めた

事もありました。その試合を実況していたアナウンサーが「津田、スピード違反だ~!」と叫んだ話は有名です。

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また1986年に津田と対戦した原辰徳は、ストレートをファウルした際に左手を

骨折し、残りシーズンを全て欠場、翌シーズン以降も左手首痛の後遺症に苦しんだ

話もあまりにも有名です。

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津田投手は1990年のシーズン終了後から頭痛をはじめとする身体の変調を訴えるように

なりました。翌年もその体調不良を抱えたまま開幕を迎え、無理を押して

広島市民球場で行われた巨人戦で、1点リードの8回表に先発の北別府の後を受けて

登板しましたが、無死二塁・三塁のピンチを招き、原辰徳に同点適時打を打たれるなど

大乱調のためわずか9球で降板、敗戦投手となりました。

これが自身の生涯最後の登板となったのです。

 

普通の頭痛だと思って放置したものの、長らく治まらなかったこともあり、この試合の

翌日、検査入院。精密検査の結果、手術で摘出できない位置に悪性の脳腫瘍があること

が判明。このとき、本人は告知を受けていたが、球団は周囲の動揺を避けるため本当の

病名を伏せ「水頭症のため引退」と発表、5月20日に準支配下登録選手となりました。

そして闘病生活に入りましたがその後、本人の意思により退団届を提出、11月6日付で

受理され現役を引退。一時は奇跡的な回復を見せ、現役復帰に向けたトレーニングも行

うようになりましたが、1992年6月頃を境に再び病状が悪化、8月20日

済生会福岡総合病院へ再入院。翌年の7月20日に同病院において32歳の短い人生を

閉じました。

現役は1982年から1991年まで・・・そう長くはなかった選手生命でしたが

その魂は今も広島ナインに脈々と流れ、精神的な支えになっています。

 

一周忌にあたる1994年にその魂を継ぐべき津田プレート(正式名称は津田恒実顕彰板)が

旧広島市民球場の一塁側ブルペンの柱に、後の2009年に現在のマツダスタジアム

移設され一塁側ベンチとブルペンの間の通路の壁に設置され、カープの投手は、

投球前に必ずプレートに触れていくことがテレビの特集で紹介されていました。

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前半、絶好調だった広島東洋カープは中盤に差し掛かり不調に喘いでいます。

ここから頑張って欲しいものです。

笑顔と闘志を忘れないためにも・・・。

 

以上

 

ありがとうございました