小さい頃に耳にしていた「思い出のグリーングラス」という曲
ジョンデンバーのカントリーロードと意味合いは同じで望郷の想いとかの歌だと思っていました。明るいさわやかなイメージの歌で日本では森山良子さんが有名ですね。
一番
汽車から降りたら 小さな駅で
迎えてくれるママとパパ
手を振りながら呼ぶのは 彼の姿なの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブホーム
帰った私を迎えてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブホーム
こういう感じで二番も進むのですが、三番になってちょっとニュアンスが変わります。
三番
悲しい夢見て泣いてた私
一人都会でまよったの
生まれ故郷に立ったら
夢がさめたのよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブホーム
笑顔で誰も迎えてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブホーム
文字通り読むと、一人都会でまよったの と都会に行って挫折してしまった女性の哀しい想いが感じられます。そして、生まれ故郷に立ったら 夢がさめたのよ と続きます。なんとなくぎこちない展開の歌詞に思います。
実は、この三番の歌詞は挫折とかという簡単な話ではなかったようです。
原曲の三番の歌詞を直訳(原詩の設定は男性)すると
そのとき目が覚めて あたりを見回した
灰色のコンクリートの壁に取り囲まれている
そして俺は思い知らされた 夢を見ていただけだったんだと
そこには看守と 悲しげな顔つきの年老いた神父がいて
夜明けが来れば 彼らに腕を組まれて歩かされるだろう
俺はまた 我が家の青々とした芝生に触れるんだ
そう みんなが会いにきてくれる あの年老いた樫の木のかげで
俺の体を横たえながら 我が家の青々とした芝生の下に
実はこの歌は、死刑執行を翌朝にひかえた死刑囚を描いた歌なんです。一番と二番は幼い頃過ごしていた故郷の明るい風景と優しくあたたかく迎えてくれる家族や恋人。それは死刑囚が人生の終わりに冷たく暗い独房の中で見た、ひとときの夢なのでした。
最後に処刑されて故郷の美しい芝生の下に埋葬され=触れる=ことを念じながら歌は終わります。年老いた樫の木の根元に魂は静かに眠っているのでしょう。ちなみに年老いた樫の木はこんな感じです。アメリカっぽいイメージですね。