風野ゆうの素朴な疑問と一本勝負

全身全霊をかけて気ままに全力投稿

プロとはいえ戦力外通告という響きがどうもイヤです。

がんちゃんは最後まで素敵な笑顔でした。

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ノン、こちらの方です↓

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広島東洋カープは10月2日、岩本貴裕外野手(33)他5選手と来季の契約を結ばないことを発表しました。いわゆる戦力外通告です。地元広島出身で人気選手だった岩本は現役への未練は口にせず、笑顔でプロ11年を振り返り、憧れた広島球団、そしてファンに感謝し、現役生活に区切りをつけました。ファンに愛された変わらない笑顔で現役への未練を吹き飛ばし、報道陣の問いかけに終始、笑顔で応えました。

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「悔いはありません。暗い顔をしてもしょうがない。悔いなく、ここに来ている。まだやりたい、とかはない。今後はまだ分からない。家族と話をして決めていきたい」

地元古豪広島商から亜細亜大学を経て、2008年ドラフト1位で入団しました。

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和製大砲への期待の大きさはマツダスタジアムのフェンスの高さを変えました。入団1年目に開場予定だった新球場の左翼ポール際のフェンスは当初7・8メートルに高くする計画だったが、左打ちながら左への長打を持ち味とした岩本の特長を生かすため、右翼と同じ3・6メートルとしました。

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期待に応えるように、ノーステップ打法にした10年に14本塁打を記録。

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しかし、右膝を手術した11年以降は苦しみ、出場試合数を減らしました。限られた打席数の中で、15年から3年連続打率3割をクリア。それでも1軍定着はならず、ついに今年は1試合だけの出場に終わりました。同じ広島出身の金本氏が背負った背番号10を受け継ぎましたが「あれだけの記録と記憶を残された方なので、いい結果を出せなかったので申し訳ない」と頭を下げました。

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それでも地元でプレーした11年は特別な時間でした。「最初の頃は(プレッシャーも)あったけど、『がんちゃん、がんちゃん』と呼んでもらってうれしかった。

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気軽に声をかけてくれるファンがいることはありがたかった。広島で良かったなと思いました」。最後まで“がんちゃんスマイル”を貫き、子どものころから憧れた広島カープのユニホームを脱ぎました。

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ちなみに同期入団としてはソフトバンクの攝津正、西武の浅村栄斗、阪神上本博紀がいます。

 

そうそう、4連覇を逃した緒方かな子さんのご主人もカープの監督を辞任されました。

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